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「マリみて」を読んでいて感じる隠された恐怖がある。それは六田登「バロン」(ISBN:409122721X)で主人公の父親が感じたものと近いのかもしれない。産婦人科医であるその人物は、急増する想像妊娠*1患者に疑問を抱くが、あるとき自分が想像妊娠であると診断した女性が胎児を産み落とすのを目の当たりにし*2、「女性は単性生殖が可能なのでは?ならば男性の存在価値は?いつか切り捨てられる時が来るのではないか?」という恐怖に捕らわれるのだ。
「マリア様がみてる」の世界でも極力男性の登場人物は排され、生殖の前段階である恋愛*3も擬似的ではあるが女性間で成立してしまっている。そのため、前述のような恐怖を感じるのではなかろうか。