ささきさんにいじられた(id:kojimayu:20040329#p1)。プライベートモード中に書いたけど(消したけど)もう一度書くと、「名前を付けてくれ」というフレーズは前々から僕の中にあって、むかしこんなの(id:standalone:20031002#p3)を書いたこともある。実はこれ、2、3年前(適当)に仲間うちでやっていたメーリングリストみたいなものの中で書いた文のコピペで、つまりそれくらい前からってことです。


ジキシさん(id:jikishi)は別口でその存在は知っていたけどダイアリは知らなくて、「名前を付けてくれ」とかググってみたときに「じゃあこんなのもあるかな?」とか思って「名前をつけてやる」で検索してみたらそんなタイトルのダイアリがあって、「あらジキシさん」みたいな。


まあジキシさんがどうかはわからないけど僕の「名前を付けてくれ」というフレーズは無意識的にスピッツの「名前をつけてやる」から取ったのだと思います。


なんだか↑の文を読むとささきさんに対して怒っているように読める気がします。僕は小心者なので逆の立場でこの文を読んだら「あれ?気分を害しちゃったかな?」なんて思うかも。そんなことないよ!ささきゅう萌えー!(嫌がらせ)
話はどんどんシフトしていくけど、やはり文字だけで伝達というのは難しいね。表情や口調というのはやはり重要な情報源なのです。文章を書くに際してはその辺も考慮しないとなあ、とは思うのだけど僕は客観視するのが苦手なのですよ。あら大変(投げっぱなし)。
で、某T氏がたまにコメント欄とかでドキッとするような発言をしていることがあって、これ僕はT氏を知ってるからいいけど知らない人が読んだらものすごい悪印象を持つんじゃないかなあ、なんてハラハラしてます。彼はその発言が多くの人の目に触れることとかそれを読んだ人がどう思うかとかをあまり考えていない(あるいは気にしていない)のかなあ、なんて思うのです。それが“空気が読めない”ってことなのかな?でもそれを裏返すとあちこちで空気の読めない、読みようによっては悪意と取れる発言を繰り返す人たちも実はT氏のように気のいいやつなのかもしれない。そう考えると、なんかちょっと救われるなあ。