はてなダイアラー映画百選

打ち上げ花火、下から見るか?横から見



打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?


 記念すべき「はてなダイアラー映画百選」における邦画一作目は、いきなり反則スレスレ。と言うのもこの作品、本来は「世にも奇妙な物語」の後番組という微妙なポジションの一話完結式TVドラマ「if〜もしも」の一編として制作されている。しかし劇場公開されているので規定はクリアしているはず。はず。




 千葉県飯岡町、8月1日。町の花火大会をその夜に控えた小学校の登校日。プール掃除にかこつけて水遊びに興じるノリミチとユウスケは、遊び感覚でクロール50mの勝負をする。
「おれが勝ったら・・・おまえ何する?」
それはその場に居合わせた少女・ナズナにとってもひとつの賭けとなる。そして勝負はノリミチがターンの際に足を打ちつけ遅れをとったことにより、ユウスケの勝利で幕を引く。プールエンドにタッチし顔を上げたユウスケに、ナズナは言う。
「今日花火大会行く?二人で行こうよ」
 教室に戻ると友人たちが「花火は横から見ると丸いか平べったいか」で議論している。ノリミチたちは夏休みの宿題を賭け、花火を横から見ることのできる町外れの灯台まで確認しに行くことになるのだが・・・。


 夏の日、海辺の町、蝉の声。大人の都合に翻弄される少女、そんな世界があることを意識すらせず暮らす少年。フィルムのような映像、美しい音楽。たった一日の、物語。


 主人公達の言動からはむせ返るほどの小学生臭が発散されている。むやみやたらと走り回り、事あるごとに「じゃあ何賭ける?」、その答えは「スラムダンクの最新刊」、グラウンドでは「波動拳!」「昇龍拳!」とじゃれ合い、「早生まれのくせに!」と意味のない罵倒を繰り返す。
「なあ、おれナズナに告白していい?」
「だから、すりゃあいいって言ってんだろ一億万年前から!」
好きな女の子のことは茶化さなくては口にできず、いざチャンスが巡ってくれば全力で逃げ回る。
「あれ?お前ナズナのこと好きなんじゃねえの?」
「なんで?おれが?シャレだよシャレおまえ、マジで言ってると思ったわけ?なんだよばっかみてえこいつ、おれがあんなブス好きなわけねえじゃん」
どこまでも幼く、天邪鬼。だけどそれが“小学生”のリアルだ。どれも確かにあったこと。


「もし君を誘ったら裏切らないで来てくれた?」
「え?」
「もういいよ。裏切られるの血筋みたい」
「おれは、おれは裏切らないよ」
「ほんとかな。裏切るよきっと」
やっと搾り出した言葉もねじ伏せられる。でもそれ以上は言い返せない。何もすることができない。子供であるが故の、個人としての、無力感。自分に対する苛立ち、怒り、その矛先。
「あの時、おれが勝ってれば・・・」




そして、物語は転換する。




 「if〜もしも」という番組は、物語をある時点で分岐させ二通りの結末を提示する。この特異な設定は興味を引くことには成功したのかもしれないが、その結果としてどこか安っぽさを感じさせてしまっているように思う。個人的感覚で言えば“企画物”という言葉と同じ匂いがするのだ。しかしこの作品は、それをあまり感じさせない。
「50m?審判やったげようか?」
シナリオのうまさか?
「何?何か賭けてるの?」
編集の技術か?
「いくわよ」
単に僕がストーリーを記憶しているせいだろうか。
「よーい、スタート!」
ただ、どちらの道が正しいだとか、真実であるとかいうことはないのだ。
「今日花火大会行く?二人で行こうよ」
「なんで」
「なんでって・・・」


 いつだって少女は少年を振り回し、少年は少女に振り回される。大人びた、そうならざるを得なかった少女。その心境を量ることなど出来ない少年は、ただ少女に付き従うだけ。少女を救えるのは、少年の“力”でも“言葉”でも、“奇蹟”でもなく、ただ“偶然”だけなのだ。


 僕は考える。果たして少年は少女を、少女は少年を、“好き”であったのか?“子供ながら”でもいい、それは“恋”と呼べる感情であったのか?夜のプールで、エンディングで、切々と流れる印象的な主題歌のタイトルは「Forever Friends」という。それでもあの瞬間、それぞれにとっての“世界”が完璧に合致した“共犯者”であったことだけは確かだと思うのだ。




「今度会えるの二学期だね・・・楽しみだね」