ハードカバーと文庫本

 みなさんのコメントへのレスがてら↑の続きのようなものを。


 早く手に入れたいというのは確かにあります。好きな作家の作品は早く読みたい!とは当然思うのですが。まあ上記のような理由で。それにここで間違って1冊買ってしまうと堤防が決壊して次から次へと買い始め、ついには普通に新刊で買うようになり、気が付けば今の2倍、3倍の金額を注ぎ込んでいる、などという事態になりかねないのです・・・。


 まあそんな感じで僕がハードカバーを"買わない"というのは"買えない"ことの言い訳のような意味合いもあるわけで。お金と時間さえあれば、新刊で読んで文庫で出たらそっちも読んで、というのが理想です。が、現状それは無理なので自己防衛のため極力新刊情報は入れないようにしています。


 あと流水御大*1が言うように"文庫が完成版"というのはあると思います。僕はあまり記憶力が良い方ではないので、細部まで記憶できずに加筆修正に気付けないだろうからよほど多くの部分が書き換えられていると明言されていない限り修正前後両方読むというのはないですね。悲しくなるから。まあ御大のように文庫化に伴い別作品になってしまうとさすがに両方買う羽目になりますが。


 あと「文庫にならない本」か。僕は読書に関してはそれほどマニアックでもない方だと思うので*2、あまり心配していませんね。前述のように新刊情報を入れないので何が文庫化されていないのか気付かないというのもありますし。


 まあ現状、普通に買っている分の文庫本ですら消化しきれていないので、僕の読書としては文庫だけで満足できているという事なのかもしれません。


 ああ、それとやっぱり僕は文庫本という形態が好きなのだな、きっと。お手軽サイズでポケットに入れて気軽に持ち歩けるし、読み込むうちに汚れたり、部屋に置いておいたら背が焼けたり、そういうのもまた味になる。茶色く変色した本のかび臭さがたまらなかったりする。ジーンズみたいだ。そういうのも含めて、文庫本てやつが好きなんだろうなあ・・・。


・・・って結局最期は感情論か。

*1:清涼院流水

*2:じゃあ何ならマニアックなんだと言われれば言葉に詰まるのですが。