あれは僕が小学生の頃だったと思う。1年生であったか6年生であったかも定かではない。夏休み、僕たち一家は父親の帰省に付き合い山形の親戚の家を回っていた。僕は車に酔いやすいし、大人たちの会話は退屈だし、人見知りするので誰に話し掛けるでもなくちょこんと座っているだけ。滅多に、いやもしかしたらこの先一度も会うことがないかもしれない、なんと呼べばいい関係なのかもわからない子供に対してお年玉代わりに小遣いをくれる人もいたが、楽しみと言えばそれくらいだった。
何件目かに回ったその家に着いた頃には、僕はすっかりくたびれ果てていた。子供に対して投げかけられるお決まりの言葉を適当にあしらい、僕は年老いた猫をじゃらして遊んでいた。その家の大きな仏壇の前には、季節柄かそれはもうたくさんの花が飾られていた。猫か、花か。気が付くと僕は目がとても痒くてごしごしとこする。母親に「目が痒い」と訴えると「花粉症じゃない?外で遊んできな」と言われた。どういう話の流れか、その家の女の子が近くを案内してくれることになった。家の裏がちょっとした林になっている。鬱蒼とした暗い雰囲気ではなく、木々の間隔はじゅうぶんにあり、強い光が飛び交うような林だ。その木々の隙間を縫うようにして歩きながら、少女は色々なことを、際限なく語った。疲れている僕を辟易させるにじゅうぶんなバイタリティだ。セミを取ろうとか言っていたようにも思う。補虫網を手にしていたかは覚えていない。僕は精神的・肉体的に疲労していたし、初対面の女の子と二人きりなんて苦痛でしかなかった(繰り返すが人見知りが激しいのだ)。これ以上の消耗を避けるため次第に距離を取り、少女を残して家の中に戻った。母親は「もう戻ったの?」とか言い、僕は「あの子、すごい勢いでしゃべりかけてくるんだもん」などとこたえたと思う。しばらくして戻ってきた少女は「急にいなくなるんだから」などというようなことを訛りのある言葉で言った。僕は曖昧に笑った。
今となっては少女がどんな顔だったかも、なんという名前であったかも一切覚えていない。少女がいたということ以外は何ひとつ確かなことはない。
それから何年かして、もう一度その家を訪れる機会があった。数年前の出来事にちょっとした罪悪感を抱いていた僕はその少女に会いたかったが、出かけているのか姿が見えなかった。帰り際、父親に「この家、女の子いたよね?」と聞くと「ああ、いるなあ」とこたえた。
ただそれだけの出来事だ。毎年、"花粉症"という言葉を聞くと思い出す情景。ただ、それだけの話し。